時事ネタとして、私の遠い過去の経験の記憶から、思い出しついでに書いてみました。
あくまで過去エピソード、思い出話。
正直、年配(私より歳上)の男性は、接し方が難しい、はっきり言って不愉快なケースが多々ありました。
私が物申す場面は、演奏活動や音楽教室が多いわけなんですが、、、
伝えるのに一生懸命だったり、誠心誠意主張したり、に対して、「怖いなぁ」「そんな必死に言わんでも」「そういうのは可愛げ無いで」「まあまあ、冗談やんか」と、茶化すようなことを言う風潮…この腹立たしい空気感、わかりますかね。
近年は本当に(ありがたいことに)レアケースなりましたが、私自身が若造だった頃は、めちゃくちゃフツーにいっぱいありました。(遠い目)
(ん?私が歳食って、そういう目に遭わなくなっただけ???)
酷いケースではレッスンの場でさえ、「俺は職場ではそこそこいっぱしの立場にある。歳下の女にいろいろ教わるのは不本意。もっと尊敬の念を示せ。」と露骨な態度の困った殿方も。
いやいや、アンタお金払って自分の知らない知識と技術を買ってるんやから、出来ないこと知らないことの言い訳は時間の無駄、ごちゃごちゃ言わんと黙って教わったことやれば?アナタの社会的地位とやらは、トランペットと音楽の前では無力です。
てなケースも、まあまあフツーでしたね。
ちなみにもちろん、基本こちらは歳上の方には敬語です。おんなじことを何十回何百回繰り返し言い聞かせることが仕事とは言え、あんまり言うこと聞かへん時は、こちらも人間なのでビシッとハッキリ厳しめに言うこともします。でも、またそれがお気に召さない、の悪循環…
この辺は私の側が、指導者としてまだまだ改善の余地があるのでしょう。
他にもちらほら。
楽屋(演奏者控室)でお茶淹れるのを「こういうのは女の子がやった方が美味しいから」と言われたり。
(美味しいお茶淹れられる人は、男性でも女性でも素敵やな、思いますけどね。料理も!)
「音大でトランペット、女性やのになんでまたそんな楽器で?」「トランペットで仕事する女性って、ちょっと変わってる」「どうせ結婚したら食べるのに困らへんから、真剣に音楽やらんでも良いし、エエよな〜」とか、軽〜く言われたり。
営業先で女性メンバーのバンドの時に、演奏直前にイベント主催者(クライアントさん?)が大慌てでやってきて「ちょっと、女性ばっかりでちゃんと音出せるんですか?本当に任せて大丈夫ですか?」とクレームになりかけたり。
出してしまった音に文句言われたら、それはもうもちろんお受けしますが、未だ1音たりとも吹いてません。。。
今となっては信じられないけど、これも実話です。
昔は私、どう反応してたやろう?
それとなく反論したりやんわりかわしたり?
笑って誤魔化したり?
あんまりいい思い出じゃないせいか、はっきりと印象に残っていない。
ちょっと前の私だったら、理論武装で百万発撃ち返すことが出来る。
今の私は、「へー、そうですか。」「そんなん言われても、私が女なのは変えられませんからね〜」と心の中で思って、終了か。
進化の過程前の洞穴人種、脳味噌にカビ生えてる人と付き合うのは、時間とエネルギーの無駄なので、フェイドアウト決定。
私の気持ちと手間は、自分の信じる大事なもののために費やします。
という、腹が据わった私の態度がハッキリしてきたせいか、今はそういう人は、男女問わず私の周りにはあんまりいらっしゃらない気がします。ストレス減って、良かった良かった。
トランペットという楽器を吹いていて感じるのは、「性差別」は無用の長物だけれど、「性差」は事実としてある。
男性と女性では、生物学的に筋肉量が違う。
でもそれは、必ずしも音楽上の有利不利に直結するわけじゃ無い。という感じですかね。
現に特に最近は、見事なサウンドとテクニックで、輝かしい活躍をされてる女性のトランペット奏者、いっぱいいらっしゃいます。
プロモーションだけでなく、実際に生演奏を聴いて感動した経験がありまして。低音から高音まで豊かな音量で鳴る、その魅力!そしてその音楽性!
まあ例としてわかりやすく言ってみれば、ウエイトリフティング(重量上げ)という競技。
女性選手と男性選手では、平均して上げられる重さは違う。男性の方が筋肉量も多く、より重いウエイトをホールド出来ることが多い。
だからといって、その辺の一般男性が無条件に「男性だから」という理由だけで、「女である」女性アスリートより重いウエイトを持ち上げられることは、まず無い。
個性に裏打ちされた能力と才能の上に、正しい方法でトレーニングを積んで、の結果が競技に現れる、ただそれだけのこと。
但し、トランペットはオリンピック競技じゃないので、男子・女子に部門が分かれてるわけじゃないですけどね〜。
ワールドマスターズゲームみたいに、年齢別で枠があるわけでもないし。
年配の方を一括りに「老害」というのもなんか違うな〜と思います。
能力の有無は年齢関係ない。失敗することも、歳は関係なく起こる。
若い時に出来なかったことが月日を重ねて経験を積んで出来るようになることってあるし、逆にいとも簡単に出来たことが歳をとって出来なくなることもある。
問題は「適材適所」、その任に相応しい人間があたっているかどうか。失敗した時は「責任感」、事態を収拾するために客観的にベストをとれるかどうか。
そして人間が、経年と共に良くも悪くも変わっていく、ということに寛容になれるかどうか。許し合えるかどうか。
実際、今一緒にやっている演奏仲間は、性別や年齢関係無く、ベストのアイデアとスキルを遠慮なく出し合えている(と私は感じている)。
生徒さんたちも老若男女、わからないことや感じたことを素直に伝えて下さって、またこちらの言うことにきちんと向き合っていただける方も多いです。
年配の方が黙々と率先して、教室や発表会の準備や後片付けをして下さると、場が引き締まります。頭が下がります。リスペクト。。。
ちょっと話は逸れますが、「美人〇〇」や「女流〇〇」って言う言葉も、ちょい違和感ありますかね。まあ「イケメン〇〇」も言うことあるから、女性へだけの視点ではないですが。
ビジュアルに優れているということも、ひとつの要素ではありますから、否定はしませんけどね。
私自身も、所謂「インスタ映え」する発信のお気に入りミュージシャンを、男女問わずフォローしてますから!
言うなら、「私綺麗でしょ!」「俺カッコいいでしょ!」という圧を感じたら、ちょっと白けるかな。ビジュアルを全面に出す意図はそれで良いんだけど、さりげなく「画に成っている」のが好みかも。
音楽も「ほれほれ、これ良いでしょ凄いでしょ!」って言われたら、萎えるし。
閑話休題。
そしてまたここに書いている事例は、セクハラ・パワハラの類と一括りにするには、ちょっと微妙な感じが、私はしています。
「女だから」の枕詞に付随する私の個人的なエピソードは、精神的な問題の方が随分大きくて、直接の身体的や金銭的な不利益を被ったケースが無いので…
どうなのでしょう???
(他人の体験談として聞くことはあっても)私自身は深刻なセクハラ・パワハラとは縁がなかったと思うので、ここで論じるのは不適当かもです。
そしてごめんなさい。性自認の多様性を普遍化するこの時代、男女問題という二分した表現自体が適切では無いとも思います。
ただ、私が不勉強なのとLGBT等の直接的な当事者には当たらないので、問題に思いを寄せて想像することしか、現状はできていないです。
世の中は、自分の身の処し方次第で、窮屈だったり息苦しかったりするもんですが…
楽しく幸せを感じられる生き方、自分の居場所、大事にしたい、選び取りたいですね。
今現在、こんな世界だからこそ、心からそう感じています。
過去の体験の考察が、現在の何かと生きにくい社会での、何かしらのヒントになったかな、と自分で思うようにしています。
私自身は子供を産み育てていないけれど、音楽などを通して接している若い世代の皆さんには、開かれた世界のあらゆる可能性をぜひ享受して欲しい!