フィギュアスケートというのは、とても特殊なスポーツだなと、つくづく思います。
氷の上で、体幹の力を最大限使ってバランスを取って滑り様々なポジションを取って、筋力と瞬発力を使うジャンプで回転して…と運動が苦手な私には想像を超える技術が要されます。
その上、音楽に合わせて芸術的な動きと表情まで評価されるというのは、かなり複雑なスポーツですね。
ウインタースポーツでいうと、技術系のスノーボードやジャンプ系のスキーでも、形の美しさがポイントとして評価されるので特徴的かもしれませんが、それでもフィギュアスケートは飛び抜けて特殊だと思います。
(スポーツという意味で、昔のなんとなくの点数より、今の1つづつの技や要素に対しての採点方式の方が良いと思います。)
トランペットに置き換えて考えると、やはりこの楽器もかなり特殊かもしれません。音楽という芸術の表現でありながら、身体の一部を物理的に振動源としてコントロールして、音の長短、強弱や高低を駆使して歌を形作る…結構難しいですよ!
そんな風に勝手にシンパシーをもってフィギュアスケート観戦するものだから、ドキドキします。ジャンプが決まるとトランペットのハイノートが決まったかのような興奮だし、スムーズなスケーティングは美しいサウンドのようにうっとり浸れます。
その感覚とはまたちょっと違うのですが、先日、今回の冬季オリンピックのフィギュアスケートに関連して、インターネットで面白い記事を読みました。
今の世界の女子トップスケーターの演技を、これまた世界トップクラスのバレエカンパニーのダンサーの方に観てジャッジしてもらう、という内容のもの。
すると意外に、今回上位のメダリストの評価が良くなくて、点数的に低いはずのメダル外の選手が好印象と書かれていました。(記事自体はオリンピックの結果が出る前のもの)
というのは、ロシアの若手スケーターの演技は、いろいろな技が連続していて動きと動きのあいだに身体の形が決まる「間」が無くて美しさを感じない、のだそう。
逆に日本の選手の演技は、ひとつひとつの動きに意味を感じて面白いのだそうです。
技術的に優れていると、できることをなんでも詰め込んでしまって、結果オーディエンスには伝わりにくくなったり意図とは違う印象を与えるのかもしれません。
ジャズトランペッターのウイントン・マルサリスも(技術的にも完璧に近い優れたプレイヤーですが)「昔は若気の至りで、つまらないshow off(見せびらかし)をやったりしたもんさ」と言っているのを何かで読みました。
ジャズのアドリブなんかは、その場その場でつい満艦飾でめいっぱいやってしまいがちですが、ちょっと俯瞰して感じながら、バランス感覚を持って「歌う」のが良いですね。自戒。
トリノオリンピックでの荒川静香さんの金メダルは、夜通しで観戦してエキサイトしました。心技体のバランスの頂点って、こういうことなんだな~と感銘を受けました。(次の日が、トランペット教室の大きい発表会の準備で、寝不足で大変でしたが、その価値はあった!)
水泳選手のイアン・ソープの本では、本番に向けたピーキングのサイクルなど具体的に書いてあって、私自身の練習の組み立てに大いにヒントになっています。