rappappanekoのらっぱ日記

あおいのトランペットよもやま話

感謝と思い出、今とこれから

ネット情報によると、前述(この前の記事「課題図書〜」)のジャズ評論家 油井正一氏の関連人物に、末広光夫さんのお名前があり。

神戸ジャズストリートのプロデューサーとして、ラジオ司会者・ジャズ評論家・司会者として活躍された方です。

生前の末広さんには大変お世話になり、御恩を感じて、改めて懐かしく思い起こしています。

 

当時メンバーとして所属していたバンドをお引き立ていただいて、ペギー葉山さんの前座を努めたコンサートもありました。

神戸ジャズストリートへ何年も出演果たせたのも、末広さんのお力添えがあってのことでした。

神戸ジャズストリートは、末広さんの遺志を継いで毎年秋に開催継続していましたが、ついに昨年2020年は中止に。財政的な理由が大きかったとの話を聞きました。ただし直接的な新型コロナウイルスの影響ではなく、前年台風の影響で2日間の日程中1日がキャンセルになったことが打撃だったとのこと。)

オランダのブレダ・ジャズ・フェスティバルへの遠征も、大きな貴重な経験です。

 

個人的には折に触れ、イベントでステージを聴いている時などに「これは『アンティーブの街角で』という曲だよ」と教えてもらったり、「このバンド(確かクリス・バーバーだったか)と演奏を聴いて、本番でやりなさい」とお手紙と共にカセットテープ(!)を送っていただいたり。

神戸には、バンドを離れたあと“ピンになった”私を、ピンで何度も演奏に使って下さって…私にとって、それがどんなに大きな意味を持っていたことか! 未だに私の音楽人生で、重要な場面で感じることが何度もあります。

誠にもって、縁は異なもの味なもの。

 

2012年に病に斃れられた時のことを、鮮明に覚えています。神戸ジャズストリートを控えた9月、神戸は灘の酒蔵でのコンサート。

当日のコーディネーターでもあった末広さんは入院先から直接、本番前の移動中の私にお電話下さって、きっと(場慣れしていなくて如何にも頼りない感じだった)私のことを気にかけて下さったんだと思います。「心配せずに演奏するように。他の人に宜しく伝えるように。」と。その電話一本のお気遣いで、私が気が楽になること、わかってらっしゃったんだな、と今の私には想像がつきます。

その電話での会話が、お声を聞いた最後になりました。

翌10月の神戸では、出演者もオーディエンスも皆、口を開けば末広さんとの思い出を語る、そんな年でしたね。

 

そしてこの時の神戸での演奏の一部を、つい一年半ほど前にお客様が、編集した映像を私にわざわざ送って下さったり、もありました。

その時のブログ記事

 

rappappaneko.hatenablog.com

 

 

この映像の中に、聴きに来てくれた家族や当時の生徒さん、のちに貴重な友人となるミュージシャン方も、そして今は故人となった音楽仲間やお客様の姿も。

 

自分はなんと多くの人々に支えてもらっているか、本当に恵まれていることに気付いて、圧倒されます。感謝しかありません。

 

末広さんのお気持ちに報いる唯一の方法は、音楽に向き合って生きていくことだなぁとつくづく感じます。たとえそれが、自分なりのやり方に過ぎないにしても。

特にここ数年は、自分が辛い状況になった時に、お世話になった方々のお顔が浮かぶようになってきました。

 

そして…あとに何か残せたら良いなぁ、とも。ほんの少しでも。

 

これは2011年に、ニューオーリンズで購入したカフェデュモンドのチコリーコーヒーの缶と、(その頃まだ日本にもあった)京都のカフェデュモンドで買ったカレンダー。可愛いのでスタジオに飾ってます。

2011〜2012年あたりは、小船に乗って大海で揺られてるみたいに、ポツンと心細い気持ちだったと覚えているんだけれど、私にとっての、エポックメイキングな激動の時期でもありましたね。

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※ネットの某Wikiは、別できちんとした裏付けを取るべき参考程度の情報と、認識しております。従って出来る限りこのブログではWikiの内容そのままを載せるのは控えています。 末広光夫氏の公の功績についてもまた、私の蔵書出版物からいろいろ有益なソースは出てくると思うので、機会があれば記事にまとめてみたいです。もちろん著作権侵害にならないやり方で。