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そういえばずっと昔、父が酔っ払った勢いで?私の楽器をちょっと吹いてみたことがありました。
何故かそれが、瀧廉太郎の「荒城の月」だったのは、ご愛嬌。でも運指とかちゃんと覚えてるんですね。三つ子の魂百までじゃないけど、若い頃に一生懸命にやったことって、何十年もやらずに放っておいても、残っているものなんですね。
そして祖父の話。父からの伝聞です。
うちの父方は、クリスチャンの家庭で、うちもそうなのですが、元々は祖父が「救世軍」で活動していたからなのです。
救世「軍」で、今のご時世誤解を受けやすいのですが、これはイギリスから始まったプロテスタント系キリスト教の一派で、世界的な規模で布教活動や慈善活動をしています。病院もあると聞いたことがあります。
呼称や用語、組織が軍隊のものなので、ちょっとユニークですね。
(新興宗教やカルトではありません!)
私は子供の頃には何度かみたことがあるのが、「社会鍋」という募金活動。年末の繁華街などで鍋を掲げてその中に募金を入れてもらうのですが、よくそこで軍服のようなユニフォームに身を包んで、トランペットで賛美歌を吹いてらっしゃいました。
ある程度の年代の方はよくご存知かもですが、今では若い方が目撃することは少ないかもしれません。
これは先日たまたま近くまで行ったので、前を通ってみました、京都は四条富小路下ル「救世軍京都小隊」の、いわゆる教会の建物です。
綺麗にされていて、横の入り口はバリアフリーになっていますが、でも由緒ありそうな古い建物ですね。中に入ったことはないのですが、一度は拝見したいものです。
祖父の話に戻ります。
救世軍の楽隊でコルネット(救世軍はイギリス発祥なので、ブリティッシュスタイルの金管バンドが元になっているんですね)を吹いていた祖父は戦前、布教活動であちこち行っており、祖母は兵庫県日本海側の小さな村の出身なのですが、おそらく豊岡あたりで知り合って結婚して、京都市内に移り住んだようです。
戦中は、キリスト教は宗教弾圧を受けていたはずなので、クリスチャンとしては大変な時代であったと推察します。
戦後復興期を経たおそらく1960年代前半、何があったか祖父は出奔してしまい、それきり父も、そして結婚した母も、他の家族も祖父とは会うことがないまま。。。最後は北海道あたりに居たとか居ないとか。
(長年経って、不動産の名義変更か何かで、戸籍や本籍を見て、亡くなっていたことがわかったのですが、お墓の場所などもわからず。こんなことってあるんですね。
祖母などは可愛さ余って…なのか、祖父は「戦争中に焼夷弾に当たって死んだ」などと虚偽を私たち孫に吹き込んでいましたから!)
当然私も祖父には会わないままです。私自身いい歳になってトランペットを続けている今、もし祖父に会えていたなら、どんな話をしただろうと、想像はしてみますが。
家族のこと音楽のこと、いろいろ訊いてみたかった気もします。
「親子三代らっぱ吹き」とは書きましたが、父は祖父が実際にコルネットを吹いているところは実際には見聞きしたことが無く、私が中学校で吹奏楽部に入った時は(最初はトランペットではなくてホルンでした)、父がトランペットを吹いていたことも知らなかったのです。
さて、その救世軍で祖父が吹いていただろうコルネットが、上記のプロローグ記事で触れました父のトランペット共に、何故か救世軍京都小隊ではない別の教会に保管されているのが見つかったのが、今から20年近くも前でしょうか。
楽器としては使用に耐える状態ではなかったこともあり、祖父と父の縁ということで、私がそれらの楽器を引き取らせてもらいました。
オーバーホールには出してひと通り手を入れたものの、これまた結局人前で吹くことはなく、実家のピアノの上に居ます。この、数奇な運命を経た楽器たちが、これまた興味深いのですが、これについては別に書いてみたいと思います。
余談中の余談ながら…父に聞いた話によると。
祖父が居なくなった後、祖母は別の教会に行っていました。(祖母の好きな賛美歌は、トラッドジャズでもよくやる「いつくしみふかき」What A Friend We Have In Jesus)
その教会は下鴨にあるのですが、建物を建てるあいだ間借りしていたのが、上記の救世軍京都小隊だったそうなのです。
そして完成した下鴨のその教会に、私の母が通うようになり、父と出逢って結婚したのです。(私の名前はその教会にちなんでつけられました。)
…楽器のことといい、家族のつながりといい、キリスト教会との関わりといい、なんとなくどこかしら、世代を超えて繋がってるような気がします。