rappappanekoのらっぱ日記

あおいのトランペットよもやま話

ミニコラム 人生は選択の連続だ!

音楽を生業としてやっていて、常に「迷い」と「決断」だな、とつくづく思う。

 

教えていると、生徒さんへどう伝えれば“響く”のか、タイミングはどうか、今どんな教材がこの人が伸びるために必要か…と常に考える。レッスンの時間が終わっても、それで良かったのかどうか、考えている。

トランペットが専門なのだけれど、音楽というものが人の人生において、プラスアルファの体験、一種の潤いとして感じられるような、そんな風にしたい一心で。

正直言うと、上手くいくことばかりではない…こちらがどんなに一生懸命に工夫を凝らしても、そこは相手のあることで、期待した反応や成果が得られるとは限らない。

 

演奏したり、音楽イベントの企画、ということになると、もっと迷う。常に選択肢が多いからだ。

いつ誰とどこで演るか、だけでも可能性は無限大。自分にとってベストのチョイスをしても、周りの都合といつもドンピシャに合うわけでもなく…一緒に演りたいプレイヤーや好きな場所、自分にとって都合のいい日時が、ブッキング出来るとは限らず、プランBプランCへの変更を余儀なくされることもしばしば。

例え、定期的に決まっているイベントでも、他所から依頼されて行く演奏でも、曲目やステージ構成を自分で決めなければならないシーンも近頃は増えてきた。

トランペットは全く独りで演奏が成立することはまず無い、共演者を必要とする楽器なので、周りとの関係は重要。それこそ、気遣いや忖度、そして全体のバランスをとったりと、自分がやりたいことばかりを常にできるわけでも無い。でも自分の信念や情熱を通すことも、絶対に大切である。

 

私は、ディキシーランドジャズをはじめとするトラディショナルなジャズが好きで主に演奏しているのだけれど、それも実際の本番での演奏は、まさに決断の連続!!!

特にトランペットが演奏のリードをとることも多く、テンポを決めたり、メロディやソロの順番を決めたり、と瞬間的刹那的な判断も求められる。

これもやはり、ちょっとでも自分の中に迷いがあると、プレイの方向性がぶれる。リハーサルなどである程度事前に決めていても、本番はいろんな不確定要素が絡んで、想定と違うことになる。ジャズの場合は、そのハプニングをいかに楽しんで自分のものにしてしまうか、という高度な遊びの部分もあるのだけれど。

 

私は音楽とトラッドジャズが好きで、教える仕事にも情熱と興味を持って取り組んできた。

でも常にいつも、ちょっと迷っているようなところもある。自分のようなものが、何を成し得るんだろう、みたいな。

 

ただひとつ、確信を持って言えること。それは、“我が人生に悔いなし”(まだ人生が終わる時期では無いにしても)。

仕事上で大きな苦しい決断を迫られた時もあるし、ひとつのことを決めるのに何ヶ月何年も考え続けたこともある。

私にとって絶対に譲れない一線もあって、そのために大きく小さく他者との関係が揺さぶられることもある。

けれど必ず私は、自分で迷って、自分で決めてきた。自分のチョイスの根拠を他人に求めることは決してない。ほとんどの場合、自分の直感や感覚を信じている。

だから、どんな結果になっても、後悔がない。

良い結末ばかりではないし、責任を取ら無ければならないこともある。

でも自分のチョイスを信じた結果なので、あまり気にならずに腹を括ることができる。

 

そして不思議となんとなく全体を通して振り返ってみた時に、トータルで成功している場合が多いのだ。

 

「人生は常に決断の連続。その度に、自分のベストを尽くして考え感じて、直感的に正しいことを選択し続けると、充実した人生を送ることができる。

それはまるで、ひとつひとつ丁寧に自分が選んだ宝石や真珠に、糸を順番に通していくような作業で、最後には美しい首飾りができるようなものだ」

昔に何かの本で読んだのだけれど、今の私には、実感を伴う言葉だ。

 

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写真はこの四月に行った、ニューオーリンズツアーより。この、ジャズ生誕の地への演奏の旅が実現したのも、今まで自分自身が「迷い」ながらも「決断」し続けて結実した、と自負している。