rappappanekoのらっぱ日記

あおいのトランペットよもやま話

ジェンダーとトランペット

偉そーなタイトルで大仰なことを言うつもりではないですが、ちょっと怒りが湧いてきたので。

ニュースで某医大の、入試結果の不正操作について知りました。女性の受験者を意図的に受かりにくくするようにしていた、という内容です。


この手の話題は、タブーというか、あまり皆触れたがらないようにも感じます。私もいつか書いてやろうと思っていたし、たぶんこれからも何度でも書くと思いますが、敢えて今、良い機会なので、私の主張!




女性が医者になったら、「使えない」っていう前提なのでしょうか?だったら、最初から女性を募集しなければ良い。それなら、そういう方針の学校ってことで、それが良いか悪いかは別として、受験する側にも選択する自由がありますから。


出産は女性がするにしても、育児や家庭は男女両方のモノのはず。自分の子供が生まれた男性だって「使えなくなる」はずでしょう?

なんだか「働き方改革」なんて、ただの旗振りにしか見えなくなってきて、ガッカリですね。


「使えない」=「生産性が無い」、なんか最近話題になっている、性的マイノリティー差別発言にも通じる、多様性を認めないしょーもない考え方にも思えますが、それはさておき。


ある事柄に対して、実行できる能力に対して、客観的に判定を下すことはある程度の段階では必要でしょう。今回わかったことは、その最初の客観的判定であるはずの入学試験で、脳味噌にカビが生えたみたいなおっさん達が、しょーもない古い価値観でさえ無い思い込みで、勝手に手心加えていたんだから、タチが悪い。




翻って我が身に尋ねてみれば、音大の受験は受かったものの音大に入れば同じトランペットの先輩には「どうせ女は結婚したら永久就職で、真剣に音楽で食っていくつもりでやってへんやろ」などと暴言を吐かれ、ファンファーレを吹く仕事に行けば始まる直前に主催者に割って入られ「本当にあなた達にちゃんと出来るんですか?!」と危うく止められそうになり(信じられないけど実話。女のらっぱ吹きには出来ないだろうと見た目で判断されたらしい)、パーティー演奏に招かれた先では「他にいろいろ楽器あるだろうに、何を好き好んで女の子がトランペットなんて」と軽口を叩かれ、聴いているお客さんに「ほれ、〇〇に力入れてしっかり吹かんかい」などという今なら完全なセクハラで弄られ(伏せ字は自主規制、口に出すのも憚られる)、リハーサルでは「女性は月に一回不安定で、テンポがちゃんとキープできひんやろ」などとイビられ


最近参加してるビッグバンド(メンバー大半が二十代の若者)で話したら、信じてもらえない。21世紀なるかならんかぐらいの時代のお話です。

今の私なら百万発でも巧妙に撃ち返してるでしょうけど、当時は顔だけ笑ってやり過ごすことがほとんど。悪い意味で慣れっこでしたね。




女と男は、違う。生物学的な役割、筋力や体の構造、思考の傾向、が異なる。これは当たり前のことで、変えようがない。

だからオリンピックを始めあらゆるスポーツ競技では、男子女子を区別するんでしょう。男女が全く同じなら、分ける必要はないですから。

でも、個人の能力や適応性、個性に基づく人間性、そこから生まれる社会的な活動や人間関係に及ぼす影響なんて千差万別で、優劣などつけようが無い。女性であるか男性であるかは関係無い。だからこそ尊い


何が言いたいかというと、「自分がどうなりたいかは自分で決める」「自分の限界は自分で決める」これが大事、ということ。他人が決めることじゃない!

“自分の欲求”と“自分の能力”にじっくり向き合った結果、出来ることを粘り強く続けるかもしれないし、方向転換や違う選択肢を選ぶかもしれない。それもまた、人生の醍醐味として尊いものだと思うのです。




と、随分前に「女性であることを楽しみつつ、らっぱと音楽に真摯に向き合う」というところで落ち着いたワタシ。昔は内心イジけたりした時期もあるけれど、そういう意味では今は幸せですね。

でも、昔のイヤ~な体験もちょっと思い出しちゃって、未だにそんなヤツおるんや!と不愉快になったので、思わず書き書き。

次の世代には、こんな思いして欲しくないな



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筆者近影