私自身は、スポーツするのは苦手です…普段の生活で体を動かすのは苦ではない(ずーっと歩いたり自転車に乗ったり、少々荷物が重くても、あんまり気にしない)けれど、子供の頃から何事も夢中になることは無く。
水泳やスケートも機会があれば参加はするし、トレッキング程度の山歩きも時々はしたし、でも、球技は全体に下手(ボールがあさっての方向に飛ぶ!)、体操系は低レベル(跳び箱は低い、鉄棒は出来るようになるまで時間がかかる…)。マラソンや本格的な山登りは「なんでこんなんやるんやろ?」という感じ。
そんなこんなで、十代の頃から音楽にのめり込んだ次第ですが…ご多聞にもれず、学校のブラバン(吹奏楽)ってわりと“スポ根”なんですよね~
1時間耐久ロングトーンとか、腹筋や走り込みしてから楽器吹くとか…今思えば根拠無いこともあったんですが、若くて体力もあって青春してた?!ので、あまりギモン持たずにしているようなところもありました。
ちなみに、中高ブラバン時代はどちらかというと弱小クラブで、顧問の先生の指導が厳しかった訳ではなく、先輩が後輩を代々自己流で教えてるような雰囲気でした。
スポーツ科学の考え方を意識しだしたのは、高校生の頃に読んだ「マジオ金管教本」がきっかけかもしれないです。
当時借りて読んだだけなので、今手元には持っていないのですが、「息を吸う時は、溺れている人が水面に出て来た時のように必死で吸うこと」とか「息を出す時は、練り歯磨きのチューブから中身を押し出すように」とか、感覚をイメージに置き換えるような表現がしてあったと記憶しています。
もう一度改めてじっくり読んでみたい一冊です。
また音大に入ってから、師匠ダニエル・ドワヨン氏から「トランペットを演奏することは、自転車の両輪と同じ2つのタイヤが要る。フィジカルとメンタル、この2つが動かなければ前には進めない」とも言われたことも、私にある視点を与えてくれたと感じます。
実はブラバン時代音大時代はあまり感じなかったのですが、社会人になって、お仕事で演奏したりまた慣れないメンバーやジャンルで演奏したりの場面で、よく「しょうもない」ミスをすることが気になった時期がありました。
自分の技量不足で吹けないことは、対処のしようがある程度わかります。でも、緊張したり何かに気を取られたりで集中力を欠いてミスするのは…結構悩みました。
若い時期は練習量をこなすのは、体力もあるのでなんとかなる面もあります(でも本当はやっぱりスポーツ科学の面からも、やたらやみくもに練習するのはダメですが)。
メンタル面は、スポーツのメンタルトレーニングに関する実践的な本を読んだりして、これは誰にも直接教わらなかったことだったので、役に立ちました。
自分に対してももちろんですが、生徒さんに接する時も確信を持って指針を示す根拠になりますね。
私自身は、元々はどちらかというと鈍臭くて気も小さい、トランペットを吹くには向いていない性質だと感じています。地味な研究と練習でなんとかなってるタイプだと思っています。
その分、自分の人生としてはチャレンジの連続で、面白いものになったかな、と。ちょっと大げさに言うと、ですね。